大橋純子が当然の訃報 本当の死因が公表できない理由や遺言内容に涙が止まらない!『夏女ソニア』でもんたよしのりともデュエットした女優が残した夫の胸中や北島三郎が語った想いに頬がぬれた【芸能】
2024/07/09

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芸能界に悲しいニュースが飛び込んできました。歌手の大橋純子さんが11月某日に亡くなったことが報じられました。大橋純子さんといえば、1970年代後半から1980年代前半にかけて「シルエット・ロマンス」や「黄昏マイ・ラブ」などのヒット曲を放ったことでよく知られています。

大橋純子の経歴

大橋純子さんの実家は北海道夕張市にあり、海鮮食堂を経営していました。兄が三人いる六人家族で、祖父母が同居していたかどうかは不明ですが、同居していた場合は八人というにぎやかな家庭だったことでしょう。彼女は子供の頃から洋楽に夢中で、アメリカンポップスに影響を受けて育ちました。

夫との馴れ初め

1979年、大橋純子さんは作曲家の佐藤健さんと結婚しました。二人の出会いは彼女が20歳くらいの時、佐藤さんが山葉のライトミュージック制作に勤務していた頃でした。彼女が上京した1974年から同居を始め、その後、佐藤さんは彼女のバックバンド 「セントラルステーション」にキーボードとして参加しました。二人は婚姻届を提出せず、事実婚の形をとっていました。

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死因の謎

73歳というまだまだこれから活躍できる年齢で帰らぬ人となった大橋純子さん。死因は明らかにされていませんが、食道がんで闘病中だったそうです。彼女は2018年3月に食道がんを公表し、その後も闘病生活を続けていました。一時は活動を再開するなど復帰の兆しも見せていましたが、再発により再び闘病生活を余儀なくされました。

公表されなかった理由

大橋純子さんの死因が公表されなかった理由として、考えられるのは、もしかすると彼女ががんによって歌が歌えなくなるといった宣告を受け、そのことが辛すぎて自ら命を絶ったのではないかということです。事務所側がこの事実を公表しない理由も理解できますが、そうでないことを願うばかりです。

もんたよしのりとの思い出

大橋純子さんは1983年に「もんた&ブラザーズ」のもんたよしのりさんとデュエットで「夏女ソニア」を発表し、人気を博しました。もんたさんとは当時同じ事務所で、最近でも神戸国際会館で一緒に「夏女ソニア」を歌うなど、楽しい思い出を共有していました。しかし、大橋純子さんは再び療養生活に入り、その後もんたさんとの共演は叶いませんでした。

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北島三郎の追悼コメント

大橋純子さんがかつて所属していた北島音楽事務所の北島三郎さんは、次のように追悼コメントを寄せています。

「歌の上手さ、声の良さ、どちらも一級品の素晴らしいボーカリストでした。いつも明るく元気で、同じ北海道出身ということもあり、妹のように思っていました。最近も仕事で一緒になった際には、私の体を気遣ってくれるような心優しい人でした。もんたさんに続き、また悲しい知らせが届き、胸が痛くてたまりません。」

大橋純子の遺言

大橋純子さんの遺言については、具体的な内容は公表されていませんが、彼女の最後の言葉には家族やファンへの感謝の気持ちが込められていたことでしょう。彼女の遺志は、多くの人々の心に刻まれ、彼女の音楽はこれからも愛され続けることでしょう。

結び

いかがでしたか?今回は大橋純子さんの訃報について紹介しました。ネット上では、彼女の死を悼む声が多く寄せられています。もんたよしのりさんと共に昭和の音楽シーンを支えた大橋純子さん。その美しい歌声はこれからも多くの人々に聴かれ続けることでしょう。

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