【田宮二郎】伝説の俳優、田宮二郎の真実。『白い巨塔』の役作りから自ら命を絶つまでの壮絶な人生とは??家族愛と山本陽子との複雑な関係まで徹底解析
2024/07/08

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田宮二郎の生涯とキャリアの始まり

1935年8月25日に誕生した田宮二郎。彼は生まれてわずか4日後に父を失い、母子家庭で育ちました。幼少期に第2次世界大戦を経験し、戦後は一家が財産を失うなど、厳しい生活を余儀なくされました。しかし、彼は将来の夢として外交官を目指し、英語に親しみながら育ちました。

1955年、日本が戦後の混乱から立ち直り、経済が急成長を遂げる中で、田宮はスポーツ新聞社主催のミスター日本コンテストで優勝します。この勝利が彼の人生を大きく変えるきっかけとなりました。その後、大手映画会社が新人俳優を募集する演技研究所に入所し、俳優としてのキャリアをスタートさせます。

『白い巨塔』での役作りと精神状態の変化

田宮二郎の俳優人生における最高傑作と言えるのが、『白い巨塔』での財前五郎役です。彼はこの役に深く惚れ込み、見事に演じきりました。しかし、この成功の裏で、彼の精神状態は徐々に不安定になっていきます。

1976年頃、人気絶頂だった彼は、役作りの過程で躁鬱病を発症し、精神的に不安定な状態に陥りました。妻の幸子さんによると、田宮は非常に真面目で几帳面な性格であり、その気遣いが彼自身を追い詰める結果となったのです。

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彼の精神状態の悪化は、家族との些細な出来事からも垣間見えます。例えば、手料理を巡る些細な出来事で激怒し、妻の椅子を蹴り上げるなど、彼の異常な行動が見られるようになりました。

自殺とその背景

1978年、『白い巨塔』の撮影を終えた田宮二郎は、突然自ら命を絶ちました。彼の死は日本全国に衝撃を与えました。自殺の背景には、躁鬱病の悪化や家族との葛藤、そしてロンドンで受けた植毛手術による頭痛など、複数の要因が絡み合っていたとされています。

特に、ロンドンでの植毛手術は彼にとって大きな負担となり、その後の頭痛の原因ともなりました。この頭痛は彼の精神状態をさらに悪化させ、最終的には彼を追い詰める結果となったのです。

家族愛と山本陽子との関係

田宮二郎は家族に対して深い愛情を持っていました。仕事で家を空ける際には、妻と子供たちに毎日手紙を書くなど、家族思いの一面を見せています。しかし、彼の家庭生活は決して平坦ではなく、多くの葛藤がありました。

一方、田宮は女優の山本陽子との関係でも注目を集めました。二人は『白い巨塔』での共演をきっかけに知り合い、その後長きにわたって公然の不倫関係にあったと言われています。山本陽子は田宮の死後、この噂を否定していますが、彼の人生における複雑な人間関係の一端を示していることは間違いありません。

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