【田宮二郎】伝説の俳優、田宮二郎の真実。『白い巨塔』の役作りから自ら命を絶つまでの壮絶な人生とは?家族愛と山本陽子との複雑な関係まで徹底解析
2024/06/11

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幼少期の苦難と俳優への道

1935年8月25日、柴田五郎として生まれた田宮二郎は、わずか4日後に父を亡くし、母子家庭で育ちました。第二次世界大戦の影響で幼少期は厳しい生活を強いられましたが、アメリカ軍の影響で英語に親しみ、外交官を夢見ていました。しかし、1950年代に日本が経済成長を遂げる中で、映画が黄金期を迎えると、彼の運命は一変します。

ミスターニッポンコンテストでの優勝がきっかけで俳優の道に進み、大手映画会社の演技研究所に入所。地道な努力を続ける中で、彼の出演本数は増え、俳優としての地位を確立していきました。

『白い巨塔』での成功と精神的苦悩

田宮二郎が特に愛したのは『白い巨塔』での財前五郎役でした。映画版とテレビドラマ版で二度にわたりこの役を演じ、彼の演技力は絶賛されました。しかし、その成功の裏で彼の精神状態は徐々に悪化していきました。

1976年頃、彼の精神状態に異変が現れ始め、躁鬱病を発症。役作りのためのストレスが原因で、家族や共演者との関係も悪化していきました。妻の由紀子さんによれば、彼は非常に真面目な性格で、自分自身を追い詰めてしまうことが多かったそうです。撮影中の異常行動や孤立が目立ち、精神的に限界に達していたのです。

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自殺とその背景

1978年、白い巨塔の撮影を終えた田宮二郎は突然自ら命を絶ちました。その背景には、躁鬱病の悪化や家族との関係、そしてロンドンで受けた植毛手術による頭痛が影響していました。特に、植毛手術の後遺症は彼の精神状態をさらに悪化させる一因となったのです。

田宮二郎の自殺は多くの憶測を呼びました。資金詐欺被害や投資の失敗、愛人トラブルなど様々な説が取り沙汰されましたが、真相は未だに明らかになっていません。しかし、彼の生涯を振り返る上で、家族への深い愛情や複雑な人間関係が重要な要素であったことは間違いありません。

家族と山本洋子との関係

田宮二郎は家族を非常に大切にしていました。仕事で家を空ける際には毎日手紙を書くなど、家族思いの一面を見せていました。しかし、女優の山本洋子との不倫関係も知られており、彼の人生は複雑な人間関係に満ちていました。

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